アメリカ渡米時〜の荷物喪失記録完結編です。
今回から読み始めた方は良ければ、順を追ってどうぞ!
待ち望んだ連絡
渡米〜荷物が行方不明〜その間2ヶ月以上。現地担当者?と1週間に数回はやりとりしていた。妻に次ぐ親密度だった。にも関わらず、仲介役の日本側の担当者に「連絡がつかなかったから送れなかったんだよね〜」という言い訳をした。私はブチギレたが、妻は衝撃を受けつつも、日本側の担当者に非はないからと「アメリカ側と直接連絡をしたい」と気丈に対応した。※妻曰く、過去のコールセンターでの経験がそうさせたとのこと。人によっては無駄な経験はないのだ。
妻からバトンを受けた私は連絡を待った。しかし、3日待てど「先方」からの連絡はなかった。やや無関心気味に陥っていた私は、妻の粘りに感謝しながらも「どうせ今度も」という気持ちだった。1週間を目前に、ようやく「スペシャリスト」から連絡が来た。
この時点で10月下旬。荷物と別れて2ヶ月以上の時が流れていた。ようやく長い戦いに終止符が打たれたのだ。すぐさま妻に電話をし、喜びあった。次の話題は「荷物自体の安全」からその「中身の安否」に移っていた。
「スペシャリスト」登場
ほどなくして「スペシャリスト」の肩書きを持つ担当者から電話があった。持ち主かどうかの最終判断材料として荷物の中身を口頭確認するためだった。確認方法もまた「らしさ」全開だった。「スペシャリスト」が内容物を口頭でリスティングし、個々に対して「yes」というものだ。日本ではたぶん逆だろうなと思いつつ、機械的な「yes」を繰り返した。
乾燥うどんといった諸食材は没収?されていたが、その他は無事だった。全ての確認が取れ、送付先を問われた私は「渡米後数日間の滞在地」から「現在の滞在先」に指定した。荷物がなくなった当初は「現在の滞在先」の住所をスムーズに言えなかったなと回想した。それほど時間が経ったのだ。
記念すべき初クレーム
やっと見つかったことに安堵したのは事実だ。しかし、日本にいるときの私だったらあり得ない感情が沸々と出てくるのを感じた。イライラだ。荷物は全てデータで管理されている。にも関わらず、「取りこぼしていない方」の荷物が行方不明になったのだ。それも先進国であるはずのアメリカで、だ。腹の虫が治らない私は仕事を終えた感がある「スペシャリスト」に質問攻めをした。
電話を終えた私は口元をキュッと閉じ、切り替えにも似たため息を吐いていた。クレームをぶつけてスッキリしようとした私の思惑は、預け入れて消えた荷物のようにどこかへ消えていた。とにかく、荷物はあった。1週間程度でここに届く。それでいいじゃないか。・・・これで終わる「先進国」ではなかった。
事実は小説よりストレンジ
大学内を彩っていた木々は、幹の肌色のみになった。すこしばかり「体感がおかしい」現地の人々の肌色も隠れるほど厚着をする季節へと移っていた。ちょうどそのころ「スペシャリスト」から「荷物配送」のメールが来た。丁寧な提携文のあとに送付先情報が記されていた。それを確認した私は顔のパーツを四方に伸ばし、鼻から出るだけの息を吐き出した。変更した送付先:現住所ではなく(間違えないように念押しをした)、渡米直後の登録住所(数日間お世話になった恩師の住所)に送っていたのだ。※私の現住所から車で一時間のところ。
恩師に事情を説明し、荷物を預かってもらうようお願いした。もちろん快く受け入れてくれたが、「住所を変更したのですが」など言い訳はしなかった。そのかわり「ここがアメリカだということを思い知った」旨伝えた。
数日後、「ガレージ前に荷物配送完了」のメールを受けた。「らしく」写真付きだった。本来、「よかった」という場面だ。しかし、その写真がまた心配の渦へと私を陥れた。
この時代とは思えない画質だった。目を凝らす。恩師のガレージ前のような、そうではないような・・・。肝心の荷物はどうか。たしかに私のスーツケースと同じ黒色だが・・・私のスーツケースは「横タイプ」ではなかったはずだ。車輪の位置が違う・・・。
私は愕然とし、混乱した。渡米直前に新品で購入したスーツケースだ。思い違いがあるのかもしれない。妻に「(なくなっていた)スーツケースって、縦じゃなくて横に転がせるタイプだっけ?」などと自分を洗脳するかのようなことも言った。が、妻にはそんなはずはないと現実に引き戻された。また振り出しに戻ったのだ。
夕方、恩師から「荷物が来ていたよ!」と同情にも似た声色で電話が来た。事前に「メールで来た写真が私の荷物とは異なる」と伝えていた。また迷惑をかけることになると確信していた私は「ありがとうございます。」と申し訳なさそうに伝えた。「やっぱり間違ってたよ。アメリカはすごいね。」と、恩師。「そうですね・・・。すみませんが、しばらく保管していてくれませんか。手続きをしますので」と言い切らないうちに恩師が続けた。「いやいや、写真が間違ってたんだよ。これは隼の荷物だよ!」
私は意味がわからず、一瞬固まった。目をパチクリさせながら「はい?」と上ずった声で聞き返した。「だから、写真が間違っていたの。届けた、っていう写真が」
・・・お気づきだろうか。つまり、届けた証拠であるはずの「荷物の写真」とは別の写真を私に「届けたよ」と送ってきていたのだ。こんなこと誰が想像できるだろうか。
あっさりとした対応
その後、感謝祭を利用して恩師の元を訪れ、荷物を受け取った。3ヶ月近く離れ離れだった荷物とようやく再会を果たしたのだ。達成感に満ちている場合じゃなかった。この3ヶ月間での「無駄な出費」を取り返さなければならないからだ。
すぐに「スペシャリスト」に問い合わせると、「リストとレシートを送るように」告げられた。ネットでのレシートしか残っていなかったが、大半を占めていたので十分だった。日本的な感覚?で、購入した内容を吟味し「これは消耗品だからいいか」などと、いちいち抜き差しして報告した。「さて、どれくらい補償してくれるのか」と構えていたが、あっさりと裏切られた。「報告いただいた金額分のチェックを送りました」とすぐメールが来たのだ。内容を確認したのかどうかも疑わしかった。
「こんなことなら消耗品を報告から抜かなければよかった」と傲慢な考えさえ浮かんだ。
もし荷物紛失中に買い物をされる場合は、紙のレシートもしっかり保管しておくことをお勧めします。
教訓:先進国とは
届いた新品のスーツケースは何年も使い込んだかのようにくたびれていた。共通の鍵を持っているから壊される心配なし!という触れ込みだったはずの鍵は見事にぶち壊されていた。それでも自身の気持ちは今後変わることなく、ロックされるはずだ。
アメリカは先進国ではない。最新の技術を持った優れた人たちが一部に集まっているところだ。