今回も前回の続きです。
まだ「その1」を読んでいない方はこちらから。
8月中旬に渡米。荷物が無くなり追跡。11月に受け取るまでの記録その2です。
おさらいすると、
2ヶ月の問い合わせ生活
「荷物受付センター」からの連絡を待つこと1週間、音沙汰なし。電話をするが、調査中とのこと。さらに、待つ。が、連絡なし。再電話する。「詳細をメールかwebで登録するように」言われる。以下のようなメールがくる。
さすがに全てデータで登録されているため、「2週間程度で見つかるだろう」と安心しきっていた。この時点ですでに2週間待ち。さらに、2ヶ月待つことになるとは想像していなかった。
ちなみに荷物追跡にはかなりめんどくさい手順を踏む必要がある。
まずweb(https://www.aa.com/i18n/travel-info/baggage/delayed-or-damaged-baggage.jsp)より荷物のデータから追跡することができる。
5日以上見つからない場合、「claim」手続きに進む。搭乗データや荷物の詳細をできるかぎり詳細に書かなければならない。これがめんどくさい。内容品の「単価」はもちろん「購入時期」や「購入場所」まで全て記入しなければならないのだ。
「きたい」から「たいき」へ
「スペシャリスト」が見つけてくれると思っていた淡い期待は、見事に打ち砕かれていた。「スペシャリスト」ではなく「自動送信メール」とのやりとりが1ヶ月以上続いていた。
無機質な自動送信メールは定期的に送られてきた。その間、何度も再問い合わせをした。が、さらに無機質な対応を受け続けた。ふと思い立ち、日本の航空会社へ問い合わせた。「お調べしてご連絡差し上げます」という丁寧な自動送信メールに嬉々としたが、音沙汰なしだった。電話窓口にも2度ほど問い合わせたが、いづれも保留音を延々と聞かされただけだった。
妻の粘り
10月に入った。「11月ごろから結構冷えるよ」と同僚から聞かされていた私は、某通販でいくつか冬着を調達した。当初は「余っている冬物があったら頂戴ね」と同僚に冗談で話していたが、さすがに10月に入るとリアルすぎて笑えなくなっていた。
完全に諦めモードで自動配信メールさえも鬱陶しくなっていた。が、妻は諦めていなかった。
ちなみに、妻と私は一緒に渡米したものの、別々の仕事に就いている。そのため別居中だ。遠くで諦めムードになっている私に煮えきれない思いだったのだろう。
妻は英語がほとんどできない。それにも関わらず、メールで問い合わせ、電話をしてくれたのだ。さらに日本の問い合わせにも2日かけ電話を繋いでくれた。※1日目は2時間ほどで粘ったが断念。2日目は3時間強粘り、ようやく繋がる。
電話口の受付の方も親身に話を聞いてくれたようだ。
しかし、ここからも粘りが必要となった。日本の受付を介さなければ、アメリカの受付とやりとりできなかったためだ。
アメリカ側とは直接やりとりできないため、都度、日本の受付の方から妻に連絡がくるという伝言ゲームのような構図だ。その間、電話は切ることができない。待機時間はさらに2時間を超えた。しかし、妻は耐えてくれた。
衝撃の事実
何度か情報の伝達を繰り返したあと、担当から申し訳なさそうな声色で報告があった。
「先方が『荷物はある。何度も本人に連絡しているのに、応答がなかったから保管してある』と申しているのですが・・・」
妻は開いた口が塞がらなかったそうだ。そんなはずはないからだ。夫が週に2回は電話、メールでやりとりしている「親密な仲」だったのだ。
とりあえず荷物があることに安心し「どこにあるのか」確認してもらった。しばらく待った後、担当から再び申し訳なさそうに報告を受けた。
「『あることはある』そうなのですが、『どこにあるか』はわからないとのことで・・・」
対応している受付の方に落ち度は全くなかった。しかし、気丈に「直接やりとりするので、連絡先を教えてほしい」と伝えた妻には頭が下がる思いだ。私だったら構わずブチギレていたはずだ。
長くなったので、その3(完結編)へ続く。